久しぶりに江國香織さんの『神様のボート』を再読しました。
再読と一言で言ってしまったけれど、初読は大学生の頃だった気がしてちょっと感慨深いです。
あの頃よりも主人公の親子の母親のほう(葉子)と年齢が近く、葉子の危うさやたくましさなんかが、前より実感をもって感じ取れたように思います。
江國さんの主人公たちはだいたい浮世離れしていて、孤独で、どこかチャーミングで、現実とはかけ離れているように思うこともあるけれど、心象風景で見ればこのくらいふわふわとした大人って実はたくさんいて(私とか)、そこに惹かれるし救われるような気がしています。
あとは、日々の暮らしのチマチマした描写が好きです。散歩の様子とか、ピアノをひくときの様子とか。
旅ガラスの親子はいろいろな場所で彼女たちらしく、馴染まず、でも浮かずに暮らしていく。そしてまた、旅立つ。
そんな二人の乗ったボートの旅に終わりがきます。
ボートを降りた娘の草子。
ボートを降りたのか、たどり着けたのか、とうとう再会した葉子。
葉子が現実で再会できたのか、それとも現実ではないのか、実は読み手に委ねられている部分でもあり、人によって印象が分かれそうなラストですね。
離れていく草子と病んでいく葉子に涙し、最後に現れる突然の救い。
私はあっけに取られてしまい判断がつきませんでした。夢か現実か、葉子にもわかっていないのかもしれませんね。